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2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

伊予大洲藩 江戸屋敷跡 加藤於菟三郎

江戸時代初期は藤堂高虎公の所領であり大洲藩主として高虎公の養子、丹羽長秀の子藤堂高吉公が在城しました。1608年高虎公が伊勢国津藩藩に転封になり脇坂が5万5千石で入封し大洲藩が立藩しました。1617年加藤貞泰公が6万石で入封し1623年貞泰公の死去により…

近江仁正寺藩 江戸屋敷 市橋下総守

戦国時代に蒲生氏が、本拠地として蒲生氏郷を輩出した日野城は、関ヶ原の戦いで領主の長束政家の没落と共に廃城となりました。1620年市橋下総守長政公が2万石を与えられて、かつての日野城跡に陣屋を建て仁正寺藩を立藩しました。1622年幕命により2000石市橋…

近江彦根藩 江戸屋敷跡 井伊掃部頭

1600年の関ヶ原にて勝利した徳川軍が徳川四天王の井伊直政公を上野高崎12万石から18万石加増して石田三成公の居城佐和山に入封させました。直政公は、三成公の佐和山城を嫌い琵琶湖の湖岸国磯山に城をを計画しましたが着手前1602年戦傷で亡くなりました。…

筑後柳川藩 江戸屋敷跡 立花左近将監

柳川藩は鎌倉時代から戦国時代末期まで蒲池氏の所領であり次いで龍造寺氏が一時期支配しました、豊臣政権の時立花宗茂公が柳川藩を13万2000石を領してましたが関ヶ原の戦いにて西軍に与して改易にてなりました。変わりまして田中吉政が石田三成を捕らえた功…

出羽久保田藩 江戸屋敷跡 佐竹右京大夫

久保田藩は別名秋田藩とも呼ばれて秋田県全域にまたがっています。戦国時代は、秋田氏、六郷氏、戸沢氏、小野寺氏、などが治めていましたが、関ヶ原後、小野寺氏は改易、他は常陸国へ転封、代わって関ヶ原にて曖昧な態度ヲとった佐竹義宣(よしのぶ)公が常陸…

信濃松城藩 江戸屋敷跡 真田信濃守

松城藩は、川中島4郡を領した藩で武田、上杉の戦でも有名な地です。関ヶ原の戦い後森忠政公が13万7000石で入封し松平忠輝公が14万石領有してました。ここまでが当時川中島藩と呼ばれてました。1616年松平忠昌興が12万石で入封し、松城藩と呼ばれるようにな…

伊勢久居藩 江戸屋敷跡 藤堂佐渡守

津藩2代藤堂高次公が隠居の際5万石弟の高道公に分けて久居(ひさい)藩を立藩しました。 津藩の支藩として幕末まで存在して度々本家に養子を送ってお家を守って行ったといういきさつがあります。特に10代津藩主高兌(たかさわ)公は、この久居藩12代藩主で、1797…

備中庭瀬藩 江戸屋敷跡 板倉摂津守

1600年関ヶ原の戦いで西軍宇喜多秀家の家臣戸川達安は内紛により東軍に付きその功により2万9200石で立藩しました。のちに断絶し、一時幕府領になりました。1683年久世重之公が入封し、1686年変わって松平信通公が3万石で入封しました。1699年板倉重高公が2…

信濃高遠藩 江戸屋敷跡 内藤駿河守

高遠の地は戦国時代諏訪氏、高遠頼継が納めていましたが武田氏に攻められ没落したのち信玄の5男、保科盛信が納め高遠城主になりました。1582年甲州征伐が始まると次々と信濃の武田勢は、織田軍に寝返り高遠の保科氏だけは果敢に奮闘し、自害し落城しました。…

播磨姫路藩 江戸屋敷跡 酒井雅楽頭

姫路は初めは守護赤松氏柄納めていましたが戦国時代に入って次第に弱体化し、赤松支流の小寺氏の勢力下に入り姫路城は小寺氏重臣黒田氏が居城しました。織田氏が中国地方に目を向け、羽柴秀吉公が姫路城に来た時黒田氏は足掛かりとして城を差し出して貢献し…

奥陸守山藩 江戸屋敷跡 松平大学頭

守山藩は、水戸藩の支藩(水戸藩の分家)として徳川頼房の4男頼元が2万石で福島県田村郡に転封しました。以前は常陸国額田藩2万石でしたが5代将軍徳川綱吉の命により新知行地として守山藩2万石が与えられました。額田の地は本家水戸藩に返されました。藩主は…

越後三日市藩 江戸屋敷跡 柳沢弾正少弼

大和郡山藩、柳沢吉保の五男時睦(ときちか)で支藩として越後三日市に一万石で立藩しました。主に江戸城、大阪、駿府の警護、日光祭礼奉行など江戸務めで活躍していました。小藩なうえ藩主が江戸勤めとあって財政は火の車で破綻寸前だったそうです。文政年間…

伊勢津藩 江戸屋敷跡 藤堂和泉守

伊勢津藩は、藤堂高虎が22万石で入り、大坂の陣など武功ヲ重ね32万3千石までの大大名になりました。2代藩主藤堂高次が隠居の際、3代高久に次男、高道に支藩として5万石(久居藩)を与え最終的に27万950石に落ち着きました。 上屋敷跡がある神田和泉町は高虎の…

陸奥泉藩 江戸屋敷跡 本多越中守

本多越中守 陸奥泉藩 (福島)2万石 徳川4天王乃一人本多忠勝の流れを組む分家になる。本多忠籌(ただかず)の時藩の財政が圧迫し倹約令を出して財政を立て直したことで松平定信にみそめらら老中格まで出世したそうです。 それにより登城の際槍に赤玉を付けて登…

越後高田藩 榊原江戸屋敷跡

徳川四天王榊原康政(榊原式部大輔)の流れをくみ徳川吉宗の時代、姫路藩主榊原政岑(まさみね)が遊郭遊びなどで怒りをかい蟄居、姫路から越後高田藩15万石(新潟県上越市)に移されました。高田藩3代藩主榊原政令(まさのり)公が藩政を継承し、領内の温泉掘り出し…

加賀大聖寺藩 江戸屋敷跡 松平飛騨守

加賀藩前田家の支藩3代前田利常が隠居の際、幕府に願い出て認められた藩になります。 藩祖は、前田利治(松平飛騨守)となる。母が徳川秀忠の娘珠姫になる。当初7万石から始まり後10万石になる。こちらも本家からの借地で、5762坪になる上屋敷です(母が将軍の…

本妙寺 慈眼寺 (東京 豊島区)

当山は、徳栄山といい徳川家が栄えるようにとの願いでつけられたそうです。 明暦の大火の火元と言われていますがもう一つ隣の大名屋敷からの出火という話があり、多額のお布施がその大名屋敷から送られてたそうです。この火災です天守閣、武家屋敷、町がほぼ…

吉祥寺(東京 文京区)

太田道灌が江戸城開設の時、和田倉付近の井戸から吉祥と刻印した金印を見つけこれを瑞祥して西の丸に健立しました。江戸時代になり明暦の大火などで今の文京区に建物がたてららたそうです。 数々の旗本、大名、著名人画像眠る菩提寺となっております。 二宮…

越中富山藩 江戸屋敷跡 松平大蔵大輔

加賀前田家の支藩として3代前田利常が隠居の時幕府に願い出て認められた藩になります。 利常の次男利次(松平大蔵大輔)が藩祖になり10万石の藩主になりました。(母は徳川秀忠の娘珠姫)敷地は幕府からでは無く本藩からの借地になり11088坪あります。2代藩主正…

常陸水戸藩 江戸屋敷跡 水戸中納言

徳川御三家の一つ水戸、藩祖は徳川頼房(水戸中納言)石高は、公称35万石(3代綱豊が改正)で、実際はそれより少ない、成立時は、25万石、江戸務めで物価の高い江戸と領地の二重化、幕府の軍役は石高により決められて財政は悪化してしまいました。2代藩主光圀公…

加賀金沢藩 江戸屋敷跡 松平加賀守

前田利家(松平加賀守)が藩祖となり石高102万7000石と外様大名一番の石高です。徳川家と姻戚関係が強く準親藩として扱われ松平姓、葵紋を許されていました。伺候席(しこうせき)も御三家など御家門が詰める大廊下で諸大名とは別格な待遇で、東大赤門として有名…

富岡八幡宮(東京 江東区)

今回ば深川富岡八幡宮のご紹介です。 江戸時代初期(1627年)に創設されたお寺で、 勧進相撲発祥の地になって相撲関係の石碑など多く置かれています アクセスは門前仲町駅から徒歩5分 木場方面になります。 横綱野石碑になります 富岡八幡宮の奥にあります 数…

江戸時代マップ(東京 全区)

Amazonで購入しました江戸時代の地図 以前から武家屋敷など何処にあったか興味があり買いました これから度々その場所に行き今、どのような感じになっているのか ご紹介したいと思っています。 余り興味がないと言う方もいるとは思いますが これからもよろし…

深川不動尊(東京 江東区)

門前仲町を降りて木場方面徒歩5分深川不動尊が有ります。 この辺りは昔ながらの街並みがありとても和む所です。 京都風の薄味漬物結構この辺りでは有名です。 地元では有名な富水1Fが魚屋、1,2Fが食事処 新鮮でボリューム大おすすめ店になります ランチ限定…

近藤勇ノ墓、前田邸跡(東京 北区)

今回は新撰組近藤勇の墓、加賀藩前田氏下屋敷跡のご紹介をしたいと思います。 JR板橋駅降りてすぐにその墓はあります。 この近くの板橋宿平尾一里塚辺りで処刑されたそうです。 た このお墓は生前袂を分った永倉新八が建てた お墓になります。 近藤勇の自画…

国宝姫路城(兵庫県 姫路市)

今回は別名白鷺城(姫路城)をご紹介します。 駅を出て城まで徒歩約20分2キロ近くあります。色々お店が立ち並びこの辺りはアナゴが有名だそうです。 は 広大な敷地を入り何重もの壁に櫓さすが今まで戦がなかった城だと思います。 攻め手には甚大な被害必定、 …

ヨッシーツアー(東京 北区、文京区、豊島区)

今日は私の地元バーチャルツアーをしたいと思います。 まずJR上中里駅から出発します。駅から坂を上がり徒歩3分平塚城跡に着きます。 平塚城は平安末期豊島近義が立て、後三年の役の帰路、源義家、義光、義綱兄弟が宿泊し厚いもてなしを受け鎧と観音像を下賜…