伊予大洲藩 江戸屋敷跡 加藤於菟三郎
江戸時代初期は藤堂高虎公の所領であり大洲藩主として高虎公の養子、丹羽長秀の子藤堂高吉公が在城しました。1608年高虎公が伊勢国津藩藩に転封になり脇坂が5万5千石で入封し大洲藩が立藩しました。1617年加藤貞泰公が6万石で入封し1623年貞泰公の死去によりお家騒動になり幕府により嫡子泰興(やすおき)公が5万石、弟直泰公が1万石で落ち着きました。藩政でも軍事強化、幕府にも江戸城、大阪城の普請事業、蒲生氏、山崎氏、生駒氏の改易による城の在番など行いました。備中国足守藩主、木下利当(としまさ)公から淡路流槍術を学び達人と称されました。大洲藩は、勤皇の気質が高く幕末は、早くから勤皇で藩論は一致してました。小藩ながら鳥羽伏見では活躍して坂本龍馬率いる海援隊の蒸気船いろは丸は、大洲藩の船で貸与してました。余談ですがこの屋敷の女中部屋から8両程鼠小僧にお金が盗まれたという経緯が、当時ありました。
僅かながら昔の庭園の名残りが見えます。
7254坪
3071坪
台東区寿町3丁目