本妙寺 慈眼寺 (東京 豊島区)
当山は、徳栄山といい徳川家が栄えるようにとの願いでつけられたそうです。
明暦の大火の火元と言われていますがもう一つ隣の大名屋敷からの出火という話があり、多額のお布施がその大名屋敷から送られてたそうです。この火災です天守閣、武家屋敷、町がほぼ焼失し新たな火災を考えた町造りをしました。
その時会津藩、保科正行公が「もはや天守閣は無用の長物」といい、天守閣を造らず「武断政治」から「文治政治」に変わったという事を天下に示しました。
久世大和守の墓 このお寺を建てるのに人力した殿様です。関宿藩5万石
森山栄之助(江戸時代の通訳)の墓
アクセス
豊島巣鴨5丁目
慈眼寺
芥川龍之介(文学者)の墓
四角い石のサイズは、普段使っている座布団のサイズ鳥居同じサイズだそうです。