津藩2代藤堂高次公が隠居の際5万石弟の高道公に分けて久居(ひさい)藩を立藩しました。
津藩の支藩として幕末まで存在して度々本家に養子を送ってお家を守って行ったといういきさつがあります。特に10代津藩主高兌(たかさわ)公は、この久居藩12代藩主で、1797年に「義倉積米」制度を用い藩士の知行や扶持米の100分の1を藩に積立て藩の事業資金にしたり、困窮している方に貸し付けしたり、藩校の運営資金や、災害復興など藩の引き締めなど行って乱れた藩政を立て直しました。義倉積米は廃藩置県まで継続されました。
久居藩上屋敷跡
台東区上野1丁目(凸版印刷)
7164坪
藤堂佐渡守
5万3千石