常陸水戸藩 江戸屋敷跡 水戸中納言
徳川御三家の一つ水戸、藩祖は徳川頼房(水戸中納言)石高は、公称35万石(3代綱豊が改正)で、実際はそれより少ない、成立時は、25万石、江戸務めで物価の高い江戸と領地の二重化、幕府の軍役は石高により決められて財政は悪化してしまいました。2代藩主光圀公はTVでも有名ですが実際は、漫遊は、しておらず鎌倉、江戸、水戸、周辺しか行っておらず大日本史編纂に力を入れて儒学、勤皇(水戸学)を持って「もし徳川と天皇が戦にはなったなら迷う事無く天皇につけ」という家訓がありそれが幕末までつながり尊王攘夷など井伊暗殺などあったのでしょう。水戸からは将軍は、出せず、副将軍として常に江戸におりサポートする役(ただ一人慶喜公のみ)に務めました。
江戸時代の地図になります
現代の地図になります。
ホテル、ドームが跡地になってます。
コロナでしばらく休業になってます。
江戸上屋敷 調査中(後楽園、東京ドーム)
101831坪
江戸中屋敷主に隠居した殿様、成人した世継ぎが住んでいました。
今は東京大学農学部、弥生キャンパスこの辺りが水戸藩中屋敷になります。
敷地は643323坪ほどあり藩邸から土器が見つかり(弥生2-11に石碑有り)弥生土器と名付けられたそうです。
下屋敷調査中。(墨田公園) 23110坪