越中富山藩 江戸屋敷跡 松平大蔵大輔
加賀前田家の支藩として3代前田利常が隠居の時幕府に願い出て認められた藩になります。
利常の次男利次(松平大蔵大輔)が藩祖になり10万石の藩主になりました。(母は徳川秀忠の娘珠姫)敷地は幕府からでは無く本藩からの借地になり11088坪あります。2代藩主正甫(まさとし)が薬売りを始め財政を潤したといういきさつがあります。
江戸時代の地図になります
現代の地図になります。
奥の建て物が富山藩になります。
文京区本郷7丁目(東京大学附属病院)
富山藩上屋敷10088坪
もはや中屋敷の跡はなく住宅街になってます
富山藩中屋敷跡
敷地1475坪アクセスは文京区池ノ端2丁目
今やオフィスビルが立ち並ぶ敷地になりました。
10000坪
1844〜1855年の僅か10年余り抱え屋敷を持ってました。豊島区南大塚2丁目