歴史ウォーカー

歴史好きの方の旅サポート

奥陸守山藩 江戸屋敷跡 松平大学頭

守山藩は、水戸藩支藩水戸藩の分家)として徳川頼房の4男頼元が2万石で福島県田村郡に転封しました。以前は常陸国額田藩2万石でしたが5代将軍徳川綱吉の命により新知行地として守山藩2万石が与えられました。額田の地は本家水戸藩に返されました。藩主は江戸務めとして、小石川の藩邸に留まり国元には戻らず、

陣屋を設けて代官が取り締まる形だそうです。

2代藩主頼貞公は、尾張藩徳川宗春公の蟄居を伝える使者になっております。

守山藩では代々男系が続き、高松松平家、府中松平家に養子を送っており頼貞の血筋で続いています。

戊辰戦争では奥州列藩同盟に加わりましたが戦わず降伏したそうです。

f:id:yoshitugu1967:20210417093954j:image

教育の森公園の一角が屋敷跡地になってます。f:id:yoshitugu1967:20210417094048j:image

2万石とは思えない敷地でした。

森山藩江戸上屋敷

文京区大塚2丁目

14300坪