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備中庭瀬藩 江戸屋敷跡 板倉摂津守

1600年関ヶ原の戦いで西軍宇喜多秀家の家臣戸川達安は内紛により東軍に付きその功により2万9200石で立藩しました。のちに断絶し、一時幕府領になりました。1683年久世重之公が入封し、1686年変わって松平信通公が3万石で入封しました。1699年板倉重高公が2万石で入封し、幕末まで11代172年間続きました。特に7代藩主板倉勝資(かつすけ)は、有能な藩主で、殖産興業や、民政に尽力し、凶作に備えて義倉(ぎそう)という備蓄倉庫を造ったり誠意館という藩校を創設し藩士子弟の教育化に努めていました。

庭瀬藩の中では有能な藩主で中興の英主といわれています。

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江戸時代の地図

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現代の地図

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春日通りと本郷通りの丁度交差点に屋敷地があります。

庭瀬藩江戸中屋敷

3909坪

文京区湯島3丁目

 

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不忍通り千駄木駅前になります

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庭瀬藩江戸下屋敷

2000坪

文京区千駄木

板倉摂津守

2万石