護国寺 (東京 文京区)
護国寺は、1681年5代将軍徳川綱吉公が、生母桂昌院の発願によって上野国(群馬県)大聖護国寺の亮賢(りょうけん)僧正を招き開山しました。幕府直轄の高田薬園の地を提供して開山した護国寺は、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を、本尊とし、号を、神齢山悉地院護国寺と称し、寺領300石を提供しました。
護国寺は幕府の祈願寺で明治維新後檀家を持たない護国寺は経済的苦境に陥り境内5万坪の内東側2万5千坪を宮家の墓所(豊島岡墓地)として造られました。1873年(明治6年)明治天皇第一皇稚瑞照彦尊(わかみずてるひこのみこと)の薨去(こうきょ)を機に皇族墓地となりました。
母の明治天皇側室、葉室光子様は皇室墓地には入られず護国寺墓地如入られました。
また西側の5千坪は、陸軍墓地となり境内は、2万坪になりました。(現在は、護国寺の墓地の一角になってます)
護国寺の入り口人気なります
立派な仁王像です
桂昌院が寄進した水屋になります
音羽富士の入り口
鳥居をくぐり80歩6メートルに山頂似なります
不老門になります
多宝塔になります
本堂になります