明治神宮 (東京 渋谷区)
73ヘクタール(やく22万坪)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初期は、肥後藩加藤氏の別邸で、1640年より彦根藩井伊氏の下屋敷となっていました。1874年井伊氏から政府に買い上げられ南豊島御料地となり明治天皇は、この地を愛し生前、昭憲皇太妃(しょうけんこうたいごう)としばしば行幸し隔雲亭という御茶屋、四阿(あずまや)をつくり池には菖蒲(しょうぶ)を植え回遊歩道を設けた美しい庭園となりました。隔雲亭は、空襲にて消失しましたが戦後復元されました。花菖蒲は、明治天皇が昭憲皇太妃の為植えたものです。6月が見頃で11.12月は紅葉が見頃です。
明治天皇により首都と定められた東京市は、即位して50年の記念行事の各種計画が進められており明治天皇崩御直後これらの施設を東京に構えるという構想が続々と唱えられ東京に天皇陵は叶いませんでした。明治天皇のご意思により京都(伏見桃山陵)に決まりましたが今度はそれ以外の記念施設を東京にという運動が起こりその中に明治天皇を祀る神社もあり実業家、渋沢栄一と東京市長阪谷芳郎といった有力者による有志委員会が組織され、覚書を帝国議会に提出し可決しました。
原内相より大正天皇に上奏し、翌日口頭で裁可を受け内定しました。
国民の神社という事で、全国の青年団が延べ10万人に及び神宮造営に参加し、その勤労を称え日本青年館が建設されました。
鎮座祭は、1920年11月1日に行われ、総数50万人が参拝され、38人が死傷されました。
初代宮司は、一条実輝公が任じられました。
明治神宮入り口になります。
北制札になります。
長い参道空気が済んでひんやりしてました。
綺麗な小川が流れてます(神橋)
あの清正井戸の入り口です。
コロナで中は閉まってました
東手水舎になります
外拝殿になります。
南神門になります。