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王子神社 東京都 北区

御祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと).伊邪那岐命ま(いざなぎのみこと).天照大権現神(あまてらすおおみかみ).速玉之男命(はやたまのおのみこと)事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で王子大神と呼ばれてました。

紀州熊野三社権現(本宮、那智、新宮)の御子神様の呼称で、世界遺産熊野古道には、多くの王子神が、祀られていたと言わられます。

創建は定かではありませんが源義家公が欧州征伐の時、当社の社頭にて甲冑を納め祈祷したと言わられてます、その後1322年領収豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして「若一王子宮」と奉斎し、熊野に習って景観を整えて王子という地名になりました。

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戦国時代この地の領主であった後北条氏も当社をこよなく崇拝し朱印状(28貫860文)を寄せて社領安堵しております。徳川時代においては初代家康子が1591年朱印地200石を寄進して将軍祈願所と定めました。

200石は当時としては広大な社領で王子権現の名称で代々の将軍敬拝篤く江戸名所の一つになっています。

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3代家光公は1634年新たに社団を増営、林羅山にて命じて縁起絵巻「若一王子延期」巻を造らせ寄進しました。

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この社殿も戦火で消失し1964年(昭和39年)、1982年(昭和57年)の2回再建しました。

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その後5代綱吉、10代家治、11代家斉公が造営修繕し、8代吉宗公は、紀州徳川家の出なので大変喜び1737年飛鳥山に桜を多く植え庶民の遊覧の地としました。

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多くの人が今も花見に訪れています

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槍祭りで使う神輿

 

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東京10社の一つになっています

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関神社(けづが)

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境内に毛塚が有り床屋や、かつらなど髪の毛の神社が有ります。

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戦火で多くが消失しましたが唯一大銀杏が残りました。

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樹齢600年の大銀杏になります